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【映画】スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的イデオロギーガイド

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「自らの可能性を探れ」
「自分らしく」
「満足のいく人生を送れ」などもイデオロギーである。

 

スラヴォイ・ジジェクの倒錯的映画ガイド2 倒錯的イデオロギー・ガイド [DVD] amzn.asia
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Wikipediaなし、登場する映画はamazonページの説明欄に載っています。

映画「ゼイリブ」の解説の箇所は、こちらのインタビューでも語られていました。

youtu.be


以下内容まとめ

「自分の可能性を探れ」
「自分らしく」
「満足のいく人生を送れ」などもイデオロギーである。

精神分析を受けにくるクライアントは、過度の快楽に罪悪感を覚えてはいない。逆に「十分に楽しめていない」と罪悪感を抱く

現代社会では享楽が義務である
享楽と快楽は区別する(歪んだ快楽=享楽)

飲めば飲むほど喉が乾くコーラの話。
字幕付きでアップされたものがありました

ベートーベンの「歓喜の歌」は、ナチス政権、ソ連でも好まれた。
文化大革命の頃の中国では西洋音楽は禁止されたが「歓喜の歌」はOK
ジンバブエになる前のローデシアという国では歌詞を変えて国歌として使われていた
ペルーのセンデロ・ルミノソという極左組織でも好まれている

これがまさにイデオロギーであり、
空の容器として全てを受け入れる(?)

ナチス政権がユダヤ人を仮想敵にしたのと同様に、20〜30年前のイギリス(ジョン・メージャー首相)にシングルマザーを仮想敵にした政権があった。未婚のシングルマザーの生活保障のせいで税負担が重いなど

→ 彼が首相だったのは1990-1997年で、ハリーポッターのヒットが1997年なのが面白い(作者=J・K・ローリングはシングルマザー)

調査のためタイタニック号まで潜水したキャメロン監督は
禁じられたエリアに入った時、神聖さと不道徳が混ざったような感情を持ったという。

>上流階級の人たちは活力をなくした時
>下級層の人との接触を求める。
>それを吸血鬼が彼らから血を吸い取るような描き方をしているのだ
>活力を得ることで上流社会へ戻っていく

ハリウッド映画の恋人について
テーマが世界の終わりでも宇宙でも、恋人たちは絆を試されて
試練を乗り越える(ハリウッドに限らないが)
→ ジョセフ・キャンベルの神話の構造にもつながる??

集団生活とルールの話

映画「フルメタルジャケット」を例に
軍隊に下ネタが多い理由や、イギリスの寄宿学校でのいじめについて。

先輩から後輩へのイジメは過酷だが、先輩になったら彼らもそれを行う。
それをしなければ一員になれないかのように
アブグレイブ刑務所での事件も、その延長線上にあるという考察

>ルールとは明白なものだけではない
>集団の一員になるために、明白なルール以外に
>外には知られていない暗黙のルールがあるものだ

イギリス寄宿学校の映画
リンゼイ・アンダーソン監督の「if もしも...」 →wikipedia

ところで、こちらの解説動画も面白かったです。

大文字の他者

ダークナイト」の、我々の社会はウソの上に成り立っているという話
現代だけではなく、プラトン、カント、などの昔っから
政治家などによる「高貴なウソ」は一般的である。

「火事だよ!カワイコちゃん」ミロス・フォアマン(「アマデウス」「カッコーの巣の上で」などの映画監督)youtubeにあったが字幕なし。

https://www.youtube.com/watch?v=wn4l4oG7Ios

 

大文字の他者」は建前のこと??ようわからん

カフカが描く官僚制、目的の欠如について
宗教なき現代には官僚制が享楽になっている

「神の教えに基づく世界では、
神や社会から義務が課せられており、それを果たす責任もある。
しかし、神なき世界では
義務を果たす責任があるだけではなく、
何が自分の義務なのか、決断する責任があるのだ。」

終わりに

前作(倒錯的映画ガイド)よりもさらに難しくって、理解が全然追いついてません🙃 日常生活で、漠然と「こうしなくてはならない」と感じている義務感が、「それはイデオロギーなのかも?」っていう視点が持てたのが良かった。

堀江敏幸氏の小説「河岸忘日抄」にあった、幸せとは義務であるみたいなフレーズを少し思い出した。

 

前作はこちら

 

 

【映画】スラヴォイ・ジジェクによる倒錯的映画ガイド

元の記事↓

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ja.wikipedia.org

 

登場する映画はWikipediaに詳細が載っています。
本編がyoutubeにアップされていたけど、日本語字幕はなし(自分はDVDで見てます)

以下、内容をメモしたもの

 

第1部

人間の欲望は自然なものではなく、学習されたものである
映画は、その「欲望」(desire)について教えてくれる

現実世界から幻想を取り除いてしまうと、現実世界そのものが壊れてしまう? 現実が、あまりにも「怖かったり」「楽しすぎたり」してしまうから
幻想が必要とされる(?)

従えば従うほど罪悪感を感じてしまう(スーパーイゴ=超自我の説明)

人間の「声」について。チャップリン映画を例に
カートゥーンと同じだったキャラクターが
声を持った途端に、内面性、深さ、罪の意識、責任などを持ち始める。
(interiority, depth, guilt, culpability)

 

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"Dead of Night"「夢の中の恐怖」(日本語版見つからず)
腹話術が人形を殺したあと気絶?して、目が覚めたら、人形の声でしか喋れなくなっていたというエピソード。

 

第2部

フロイトを読んだ時、あまりにも性的な事ばかりだと人は思うが
実際に問題となるのは「性行為のとき、人は何を考るか」ではないか。

それには空想が必要で、それが途切れると
「なんて自分はへんてこな反復運動をしているんだ」と自問してしまう。

この箇所で糸井重里氏の小説(家族解散)を思い出した。

>つい数日前の、最後にセックスした日も、自分が役者になったような気がした。文彦氏は、汗をかきながら自分でも不思議になるような格好をして「彼女」に「優しく」していたのだが、その時、ふいに「愛してる?」などとたずねられてしまったのである。

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マトリックスはなぜエネルギーが必要か?」の問いを反転して
「エネルギー(=リビドー)はなぜマトリックス(=空想)が必要なのか?」

生きている人間であれば、別れたり殺したりできるが
幽霊や記憶は消し去るのが難しい

 

「男らしさとは逃避」とあったけどよく意味がわからん、、
(To confront subjectivity means to confront femininity.
Woman is the subject. Masculinity is a fake.)

 

>実体化したファンタジーにはれっきとした名前がある。
>それは”悪夢”と呼ばれる
And, of course, we have a perfect name for fantasy realised.
It's called "nightmare".

彼は相手の女性ではなく筋書きに恋をしている(映画「めまい」)

ポルノの筋書きはとにかく荒唐無稽で
リアリティがあってはならないという検閲があるかのようだ

不安以外の感情はすべてフェイク

 

第3部

人は嘘だと分かっていても騙される、という話
(映画「ドッグヴィル」を例に)

youtu.be

 

「人間は死ぬのが怖いから不死になりたい」というが、
不死こそ悪夢である

デヴィッド・リンチの「ブルーベルベット」「ロストハイウェイ」などに出てくる父親像。スーパーエゴ=超自我、には不安がなく、不安の元であることを楽しんでいる

ファルス的な象徴(王冠、勲章とか)を身につけることで、無敵になったと感じる?👑
女装した男性のパワフルな状態を見ていると、カツラやハイヒールがそれに該当する気がするがどうか(女装した女性も同じく)👗👠

 

共産主義と裁判

メタバースや、ゲームのキャラクターとして演じているアバターのほうが
現実の状態よりも自分自身に近いのではないのか。

タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」と「ストーカー」は正反対。
知らないうちに望みが叶ってしまうのと、体系的に示さないと望みが叶わないのと

 


 

イメージフォーラムの上映で見てDVDを購入したのですが、
友だちに「面白かったよ!!」ってオススメしたところ

「映画ガイドっていうか、この人が勝手にそう思ってるだけじゃん?」
という身も蓋もない感想をいただきました😇

 

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こちらもどうぞ
 

「戦前」という時代

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いまの時代が「新しい戦前」と形容されているそうですが(徹子の部屋タモリ氏)、昭和の戦前はどんな様子だったのか、山本夏彦のコラムから抜粋してみました。

 

昭和4年(1929年)世界恐慌
昭和6年(1931年)満州事変
昭和8年(1933年)
昭和14年(1939年)ノモンハンで大敗
昭和20年(1945年)敗戦

 

昭和初期

・昭和5年はエログロ最後の年で、当時さまざまなサービスが行われていた。しかし満州事変以降なくなった。景気が良くなったからである
・円タクの運転手は50銭では応じなくなった。

・昭和2〜16年、一流会社の大卒の初任給は60円。給料が上がらないのは会社が物価と月給をスライドさせなかったから。山本が受かったという出版社は35円で、あまりに安いことは採用した編集長の様子から知れた。

 

 昭和四、五年は帝大出の新卒が三割しか就職できなかったころである。だから昭和六年の満州事変は国民に歓迎されたのである。それまでの戦争、日清日露の戦役は共に一年余りで終っている。満州事変もながくは続くまい。景気はよくなると待ったら果たしてよくなって、タキシーは五十銭では乗れなくなった。(中略)

 昭和八年に返りたいと昭和二十年代にはことごとに言ったではないか。昭和八年はデパートに商品はあふれネオン輝きダンスホールは満員の好景気だったからその時代に返りたいと言ったのである。それは昭和十四年まで続いた。十四年はノモンハンで大敗した年であるが、国民はぼんやりとしか知らなかった。

「世は〆切」p62

 

・昭和9年は大凶作で、東北では娘を売る農家が夥しかったという。凶作なら不況だと思いがちだが全体は好況であった。

 

インフレになるぞ、なるぞと新聞は書いたがヤミになってもインフレにはならなかった。なったのは戦後である。
 国が公定価格をきめて配給制を敷くと商品は店頭から姿を消す。店はコネある人だけに売るようになる。それはヤミ値ではあるが公定の三割り増し五割り増しくらいでインフレではない。

「戦前という時代 」p10

 

日記には十五年4月から市中の食堂タイ国産の外米をまぜることを強いられるとある。(中略)
丸の内では白米を食わせる店おもて向きなくなる。

「戦前という時代 」p17

 

昭和15年(1940年)国民服が店頭に飾られた。
>背広を着ていると、非国民のように見られるようになった。

昭和16年

・1月「商店法」改正により料理屋は9時閉店となった。注文は8時半まで。
・5月、東京中のタバコがなくなり配給制に。吸わない人にまで配給されるので譲ってもらうなど。
・9月「田舎町では木炭や薪で車を走らせていると聞く」

▶️ このころ出版社を始めたが実績がないため紙の配給を受け取ることができない。しかし和紙は統制外なので売買自由であり、各社の帳簿用紙で余っているものを集め、50冊を和紙で、2000冊を帳簿用紙で刷り、内務省への献本は和紙のものを渡した。

 

昭和17〜20年

・物資が困窮しても、変わった料理の店に行けば食べ物はあった。
フグ、食用蛙、猪、馬肉屋、どじょう屋など。昭和18年ごろ
隣組の幹部は、油、果物、菓子に困らなかった。

 

本当に食うに困ったのは昭和十九年末の空襲からである。それまでもそれからも東京では千葉に埼玉に買出しに行った。すなわち農家は十分食べて、なお売るものを持っていた。

 昭和十六年十二月八日開戦の朝、七平さんは二階で寝ていた。「おいはじまったぞ。戦争が」とおこされて「えッ、どことどこが」と聞いたという。まさかと思っていたのである。

「世間知らずの高枕」p83

 

昭和17年4月18日、ドウリットルの空襲。このときは焼夷弾はほとんど使われていない(たぶん)
・昭和20年3月10日の空襲、それまでの空襲は高度が高く軍事目標が中心だったが、それ以降は違うと思い秋田に疎開した。

 

秋田では米はあり余っている、米を送ることは禁じられている、餅にして送った。ステッキ状の木箱をつくり、まさか中身は米だと思わないから怪しまれないで執筆者や仲好しの印刷所へ送った。ある所からない所へ送ってどこが悪いと敵の裏をかいて、秘術をつくした。

最も送ったのはむろん母のところである。けれども不思議ではないか、面白ずくでしたことは先方に分るとみえ、感謝されること少かった。

「最後の波の音」p105

 

風俗、流行歌

昭和十年の娘の半ばは洋装をしている。もっともそれは銀座だけ、娘だけで、人妻になると着物に返る。パーマネントはやめましょう(昭和14年)とあったら当時は皆パーマをかけていたのだなと知ることができる。お銚子お一人様三本(昭和16年)とあればそれは表向きで、馴染客は別だろうと察しられる。

「世間知らずの高枕」p85

 

当時の流行歌も紹介されている。

「わたしこのごろへんなのよ」「はあ小唄」「島の娘」「東京音頭」「ねえ小唄」(昭和6〜8年)
「忘れちゃいやよ」「皆さんのぞいちゃいやだわよ」「もしも月給があがったら」(昭和11〜12年)
別れのブルース」「雨のブルース」「上海ブルース」(昭和12〜14年)

ブルースが流行しているということは、まだ当時は
西洋文化=鬼畜米英、ではなかったのだろう。

www.youtube.com

 

その他

戦前の開業医は午前中せいぜい十人の患者をみて、午後は往診して子供を大学へ行かせて食べていかれた。ただし長者番付に出るものは一人もなかった。

「世間知らずの高枕」p97

 

戦前は猥談の時代で、戦後はそれがずいぶん減った(中略)
その全盛期は江戸時代でしょう。ひとまえでするのですからなまなましくてはいけない。自分の話なら失敗でなければいけない。

「意地悪は死なず」p190

 


 

ほとんどの書籍が絶版になっています。山本七平氏との対談本はkindle版があるみたい。
戦前の暮らしについては、コロナ禍での生活様式全体主義の共通点を指摘した「暮らしのファシズム」(大塚英志著)も面白かったです。

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追記(戦後について)

戦後吉田茂はこのぶんでは餓死者が何万人も出ると数字をあげて迫ってマッカーサーから食料を放出させたが餓死者は一人も出なかった。出ないじゃないか、貴下の数字は正しくないと言ったら吉田は正しくないから貴国に負けたのだと笑ったという有名な話がある。

「戦前という時代 」p11

 

1950年 終値102円 6月から朝鮮戦争
1953年 終値378円 7月に停戦
1971年 終値2714円 ドル円=360円の固定相場が崩れる

日経平均株価の年足

戦後の初任給
>戦後間もない1949年は4223円。その後は上昇を続け、1959年に1万円台に。第一次オイルショックが起こった1973年には5万円台になった。

東京では「うどん1杯30円」だった——戦後、25品目の物価はこう変化した(グラフ)【終戦の日】 焼け野原になった日本ですが、戦後は世界有数の経済大国に。復興期の人々はどんな暮らしをしていたのだろう。25品目の物価の推移 www.businessinsider.jp

こちらもどうぞ↓

 

ドーパミン中毒(新潮新書)

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健康なグループと比較して、ギャンブル依存症の人の脳ではお金を失った時でも著しくドーパミンレベルが上昇していた。そして報酬回路内のドーパミン放出量はお金を失うか、得られるかの確率がほぼ同じ(50%)時──つまり、不確実性が最大の時に最も高かった。

アンナ・レンブケ. ドーパミン中毒(新潮新書) (Japanese Edition) (pp.65-66)

アルコール依存はAAなどのグループに属することで治りやすいという話から、コミュニティと報酬の例がいくつか載ってて面白かった。

 

クラブ財

>日曜日の礼拝から得る喜びは自分自身の貢献度だけではなく、他の人の貢献度で決まる。どれくらい多くの人が出席するか(中略)熱心に読み、祈るか

 

コミュニティの結束を「クラブ財」として説明してるのが新しかったのと、別の本の↓を思い出した。

一方的にサービスを受けている人はメンバーになれない。そういう人は「ユーザー」と呼ばれる。メンバーとは内側に入ってコミュニティの一部になった人だ

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書(東畑 開人)

服装、言語、特定の行動(日曜日の礼拝、決められたお祈り)は、コストなのでフリーライダーの参入を排除することに役立っている。
アイアナコーン「犠牲とスティグマの理論」は日本語訳されていないみたい

 

薬物と行動

もちろん脳内物質と薬物の関係も色々書いてあって

自由に行動できるラットは仲間を助けようとするが、ヘロインを自己投与できるようになると助けることに興味を持たなくなる(ドーパミンが報酬として役に立たなくなる)、とか
これまで行われてきた動物実験で「運動」として与えられていた滑車が、実はラットにとって中毒性のあるものだったのでは?という視点など。

 

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2022年6月

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そろそろアウトプットする時期かもしらんと思いつつ何作ったらええのんやろ思うてウロウロしている。過去に作ったものを並べてみると


2010年「強迫的な秩序についてのカエル」
これを作った後は、アニメ仕事をどんどん請け負って忙しくなっていった。自由奔放なカエル達のラストは社会に適合しますという意味だったのかもしれない


2015年「froggy」
なんか作らないとマズいのでは?って感じでけっこう無理矢理形にした感じで出来は良くないけど、義務感で作っても良いことないと分かったので良かった。


2019年「Body Obsession」
くり返し頭の中に浮かんでいたモチーフを使ったのと、思ってたことを全部出せたから、もうあまり外に向けて発信したいこともなくなったというか、結論は出たんだからもういいじゃん?という感じかなあ


試作?

デイトレ中に思い浮かぶフレーズをつないで、なんか面白い感じになるかしらと作った動画がこれで、作ったあとに「トレード中にネタを考えてしまい集中できない」となり2作だけでやめてしまった。


うさぎのシリーズ「ゆっくりトンプソン」は、作ってみたものの軌道に乗らず、。短尺動画は音声オフにして見る人が多い(自分もそう)だし、これはだめだろうという感じで中断したまま

ゆっくり音声でセリフ読み上げは面白いんだけどなあ。和音になったときの気持ちよさとか、内容はどうでも良くて言葉のリズムだけですごい嬉しくなるやつ