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「動物感覚」 テンプル・グランディン

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 著者のテンプル・グランディン自閉症の動物学者(あとがきでは、アスペルガー症候群と注釈されていた)

彼女の書く文章は端的で、翻訳書によくある「ちょっと気の利いた言い回し」のような表現がほとんどなく、事実を淡々と述べるスタイルの文章です。

第2章 動物はこんなふうに世界を知覚する

p47
動物も自閉症をもつ人も、ものについて自分たちがもっている概念には目を向けない。実際にあるもの自体を見る。自閉症の人は世の中を構成しているこまかい点を見るが、ふつうの人はそういったこまかい点をすべてぼやけさせて、世間の一般的な概念にまとめる。

動物は物事をあまり一般化しない

「飼い主の男性」に慣れても、「男性一般」に慣れるわけではない。これを利用して、人を乗せたがらない馬であっても、馬具の種類を変えたら「その馬具と一緒に覚えた怖いイメージ」を忘れて、人慣れした馬になることがある(p292)

第3章 動物の気持ち

踊らないオンドリ

 品種改良により作られた「成長が早い」「胸肉が大きい」ニワトリは、体重を支えることができず、足にケガをするようになってしまった。そこでさらに「頑丈で健康」になるよう品種改良を続けたところ、オスが正常な求愛行動をしなくなった。

p97
 ダンスはメンドリの脳内で固定的動作パターンを誘発し、メンドリはうずくまって交尾を受け入れる姿勢をとり、オンドリはメンドリに覆いかぶさることができる。メンドリはダンスを見なければ、うずくまらない。
 
ところが、オンドリの半数がダンスをしなくなっていた。ということは、メンドリはオンドリのためにうずくまらない。そこで、オンドリは強姦におよぶ。メンドリに飛びかかり、力ずくで交尾しようとし、メンドリが逃げようとすると蹴爪や足で攻め、切り裂いて殺すのだ。

脳の配線

 白い動物、とくにアルビノは神経にかかわる問題をたくさん抱えている。目の青い動物も同様である。

p108
片方の目が茶色で、もう一方が青のまだら馬に会ったことがあるが、馬はあきらかに馬のトゥーレット症候群にかかっていた。六十秒おきに全身がこわばり、発作を抑えることができない。

p115
動物をもらうときには、目が青くて鼻がピンク色で、体の大部分が白い毛で覆われているといったアルビノの特徴が多すぎないことを、かならずたしかめたほうがいい。

 動物や自閉症の人々には、投影、置きかえ、抑圧、否認など、恐れているものを無意識に押しこめるといった「防御機構」がないのではないかと著者は言う。

p126
私の脳にはどうして無意識がないのかわからないが、言葉ではなく絵が「母語」であることに関係していると思う。言語をつかさどる脳の部分は、画像の記憶をさえぎることが、多数の研究であきらかになっている。

繁殖

 牛と羊の繁殖はそれほど難しくないが、豚は難易度が高い。

基本的には人工授精を行うが、きちんと観察して世話してやらなければ、一腹あたりで受精する数が減る。

また、予防接種や医療手当などのスタッフは繁殖に関わってはいけない。
豚が怖がる(=ストレス)により、生まれてくる子豚の数が減り、その子豚も体重の増加が順調ではない。

動物の習性

・馬を一日中、ひとりぼっちで馬房に閉じ込めているのは虐待である

p142
馬は群れをつくる社会性のある動物で、仲間といっしょにいる必要がある。強力な防護措置をほどこした牢獄に牡馬を閉じこめていると、性行動をゆがめる。

p409
馬房で一頭だけで育てられたオスの子馬が、ほかの馬に対して凶暴になる。これは、ほかの馬とのつきあい方を学ぶ機会に恵まれなかったからだ。そういう馬は、支配者の地位についたら、もう戦いつづけなくてもいいことがわかっていない。

・猫とレーザーポインタについて

p188
猫は、点が見えていても、つかまえることができない。たとえ点を前足で押さえても、点を感じることも、つかまえることもできない。猫は追いかけてつかまえるという連鎖行動を完了できないため、レーザー光線の点が「過剰刺激」になって、いつまでも追跡本能を刺激しつづけ、追跡の本能が遮断されないのだ。

・けんかごっこは勝ち方を学習するためのものではなく、勝ち方と負け方を両方学習する方法ではないかという考察。

p165
青年期を迎えた動物は、けんかごっこをしている幼い動物よりも体が大きく強く支配的になると、何回かに一度は、あお向けになってわざと負ける。これは「自己ハンディキャッピング」と呼ばれ、どの動物でもしている。そうしないと体の小さい友達はたぶん遊んでくれなくなる。

犬が言うことをきかなくなるから、「綱引きごっこ」で人間がいつも勝たなくてはいけないというのはウソらしい。毎回負けさせられた犬は、そのうち綱引き自体で遊ばなくなる。

動物の攻撃性

p185
捕食のための殺しは、探索回路と「基本的に脳の同じ領域」で生じていることがESBの研究であきらかになっている。

縄張り争いなどの喧嘩では、怒りの回路が誘発されることがあるが、捕食のための殺しには怒りがない。どちらかというと楽しんでおり、欲しいものを探すときの快感は、狩りの快感と同じだ。

それとは逆に、怒りによる攻撃は不快感を覚えるため、動物と人間は怒りが誘発されることが好きではない。なるべくなら避けようとする。

第6章 動物はこんなふうに考える

言葉がじゃまをする

言葉は視覚的な記憶を抑圧することがあきらかになっている。

p350
人間についてひとつわかっているのは、意識的な言語をつかさどる左脳が、状況を説明する話をつねにつくりあげているということだ。

ふつうの人の左脳の中には「通訳」がいて、なにかをしているときや思い出しているときはいつも、それについてこまかな情報をかたっぱしから取り入れて、すべてをすじの通るひとつの話にまとめあげる。つじつまの合わない情報があるときには、たいていの場合、削除するか書きかえる。

精肉工場の監査

ふつうの人(=自閉症ではない人)が作るチェック項目は細かい。
たとえば、牛の歩行に影響を及ぼす事柄だけでも
 ・足の病気
 ・粗末な床
 ・飼料に含まれる穀物の過剰
 ・蹄の手入れ不足 …etc

などがあり、それらを全部チェックしようとするのが一般的だ(p351)
しかし、著者が監査を務めている工場では「足を引きずっている牛の数」だけを調べる。
足の悪い牛が多い=不合格になった工場だけ、原因を探して改善すれば良い。

ニワトリ工場で「3時間の消灯」を義務付けても、本当に守られているかどうかはわからない。ヒヨコの体重が軽すぎれば、十分眠れていない可能性がある(もちろん別の可能性もある)ということで、いくつかのNG項目をまとめてチェックするために、ヒヨコの体重を計る。

このような簡易化により、チェック項目を100→10に減らして、しかも非常に効果があったという。

文章についても「電動式突き棒の使用が最小限であること」だと、スタッフごとに捉え方が変わってしまうため、チェック項目には数字を用いる(「全体の25%未満」など)

さまざまなエピソード

学生のころ、B・スキナー博士を訪問したときのエピソード

p22
それから、博士は私の脚にさわろうとした。私はショックだった。着ていた服は挑発的でもなく、地味だったし、まさかそんなことをされるなんて、夢にも思わなかった。それで、こういった。「ご覧になってもかまいませんけど、さわらないでください」

・ゾウは何キロも離れたところにいる仲間と連絡できる
吼えているのだが、あまりにも低音のため人間には聞くことができない。足を踏み鳴らして、地面を振動させているという説もある(p85)

・聴覚が鋭いため、スイッチの入っていないラジオを聴くことができる人がいる(p89)

ホルスタイン種の牛は、大量の乳を出すように品種改良された結果、恐怖心がなくなってしまった。何があっても動じないため、コヨーテに襲われても子牛を守らない(p304)


こちらもどうぞ

 

「心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋」

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本の題名には「うつ病」とありますが、メンタルヘルスに限らず、社会学サブカルチャーを含む幅広い内容の本でした。
特集記事→ https://kangaeruhito.jp/interviewcat/saitoyonaha

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精神療法

▶️ 特性の区分のところが面白かった
 ADHD:反則だと知っていても、ついカードの裏を見ちゃう
 ASD:ゲーム上で意味がないことをやってしまう

p138
ぼくがいちばん理解できたASDADHDの区分は、彼(=松本太一さん)が講演で述べていたことで、
ADHDの症状だとゲーム中に「つい(反則だとは知ってはいても)カードの裏を見ちゃう」のに対して、ASDだと「反則ではないが、ゲーム上で意味がないことをやっちゃう」のだそうです。たとえばお金を投資して「製品を作る」ことが目的のゲームなのに、いつまでもお金を貯め続けて一人で満足しているといった事例ですね。

▶️ 薬や電気ショックでは「洗脳」できない

p175
かつてのソ連で精神医学が権力を結びつき、共産主義になびかない人に「怠慢分裂病」という診断名をつけて強制入院させたことがあります。でもそうした非人道的な行為の結果わかったのは、どんなに薬や電気ショック治療を乱用しても、「思想までは変えられない」ことだったんです。脳に物理的な刺激で直接働きかけて、体制に都合の良い人間を作ることはできなかった。人を洗脳するには、いまだに「人力」じゃないと無理なんですよね。

▶️ 「症状を出し切る」のは、中医学好転反応のような感じ?
木村敏さんの説明が引用されている

p218
うつが「いい加減休めよ」という身体のシグナルだとすると、最初はちょこちょこと不調が出て、休まないでいるともっとひどくなりますよね。抗うつ薬はそうした不満を「一気に出し切らせる」ことで治す薬なのだから、飲むと「一時的に症状が重くなる分、早く治る」んだと、そういう風に医者は説明すべきではと提案されています。

▶️ セラピーのゴールは主体性を回復すること

p249
そもそもOD(=オープンダイアローグ)は「主体性の回復」を重視しています。精神分析で見られる転移性治療のような、「主治医に依存しているため、依存できている間だけは元気」という状態ではなく、治療チームとの接触がなくなった後も効果が続くのが特徴です。

p50
カルトないしオカルトを信じたら「改善しました」という患者さんを認められるかというと、これはそう単純にはいかない。どこで線を引くかと言えば、その治療によって「主体性が回復したり、自由度が増したりする結果」が得られるかどうかです。
最終的に治療者に依存しなくなって自立できたら「結果オーライ」ですが、特定の教団のメンバーにされてしまってそこから出てこれなくなるような治療法は、認めてはいけません。

p75
先ほど売春のたとえを出しましたが、じつはこれも中井久夫さんが「濃密な人間関係を顧客と保つことを生業とする職業は二つあって、売春婦と精神科医だ」と言われたことから連想したものです。そして重要なのは、フロイトもそうしたように、だからこそ治療関係においては「お金を払わせること」がむしろ必要になるんです。

承認欲求とお金

承認を、お金を出して買うことについて
>精神科の治療もある意味では承認ビジネスですが、一部の悪徳な医者を除けば、それはあくまで「回復して、いつか不要になる」ことを前提に行われています。

▶️ 社会人大学院が承認ビジネスになっている
▶️ 以下、オンラインサロンについての話題

p75
お金で得られる承認を必要としている人はいるのだから、それを否定はできない。他面で、承認に「お金を出そう」と思う時点で、その人はかなり追い詰められた状態じゃないかという懸念がある。

p90
ヘーゲルが言ったように承認とはすなわち相互承認なので、突き詰めると最後は「主人と奴隷」の葛藤になるんです。主人は奴隷を支配しているつもりが、いつの間にか奴隷の存在に依存するようになっていく。

p100
生きている意味を摂取する場としての友達・家族・ネットコミュニティが浮上してきたわけですが、最後の一つだけが近日妙に「有料化」してきた。そのことに対する反発も、オンラインサロンへのバッシングにはあるのでしょうね。

▶️ ヤンキー文化の承認ルール。気合い、感謝、絆が良しとされ、先輩などを立てる一方、「下剋上上等」みたいな成り上がりも賛美される。

p45(半グレやカルト宗教の勧誘に関して)
最初は条件なしで承認したかのように装っておいて、あとから条件つきだよと。「あれだけ面倒みてやったんだから、俺に恩を返せよ」と言って手下にしていくのは怖いなと思います。

オンラインサロンに限らず、習い事やサークル活動も参加費+時間コストを支払うので、たぶん主催者が(商売のために)メンバーを依存させる方向に傾きすぎることが問題なのだと思う。
コミュニティのメンバーであることが人間に与える意味については、こちらの本を思い出した。🐰💬

その他

▶️ 映画「天気の子」が支持される理由

p72
あれは「生まれ落ちただけの“本当の家族”よりも、自分たちで築いた擬似家族のほうが魅力的だ」という価値観を描いていて、それが若者に支持されているのだと思います。作中で描かれる、零細な編集プロダクションでの住み込み労働もそうですね。

▶️ 大人になれないのは「あきらめることができない」から

p110
子どもには成長していく過程で「自分はこういう存在で、それ以上にはなれないらしいな」として、自然にあきらめを獲得していく側面があるんです。ところが戦後民主主義の教育は「君たちは何にでもなれる! だから夢を捨てるな」と強調し、そうしたあきらめを禁圧する性格があった。いわば、教育システムが「去勢」を否認してきたわけです。

▶️ 身体の有限性
スマートウォッチ、筋トレブーム、ダイエットなど、身体をコントロール(操作)することが流行している。
関川夏央さんによる三島由紀夫のエピソード↓

p126
ジムに通い出した際に三島はコーチから「自殺をしない」と約束させられたそうです。三十代のうちはやればやるほど筋肉がつくけど、四十代になると必ず衰えることに耐えられないビルダーが多いからと。これこそがスポーツ指導者の慧眼で、実際に三島もまた四十五歳で割腹自殺を遂げました。

▶️ 「標準的とされる振る舞いができる人間である」という条件に合致した場合のみ、相互扶助のセーフティーネットに入れる。山本七平日本教(=人間教)

第7章で出てきたジョーカーについての記事

『ジョーカー』の秀逸さとトランプ大統領の共通点。 私たちは一体何に「笑って」いるのか? もしも、面白い映画を楽しむ気持ちと、世界を滅茶苦茶にしているものとが、同じものだったら…。 www.huffingtonpost.jp  

言及されている本

その他本文で言及されていたもの(一部)
各ページに解説あり、巻末索引はとくに無し

スラップスティックプレイヤーピアノ カート・ヴォネガット p74, p266
ゼロ年代の想像力 宇野常寛 p116
未完のファシズム 片山杜秀 p124
太陽と鉄 三島由紀夫 p126

隠喩としての病 スーザン・ソンタグ p132
ソーシャルマジョリティー研究 共著 p141
家族の深遠治療文化論 中井久夫 p153, p83

隷属なき道 ルドガー・ブレグマン?ハイエク? p161
デジタルネイチャー 落合陽一  p166

マクドナルド化する社会 ジョージ・リッツァ p174
一般意志2.0 東浩紀 p176
生命と現実 木村敏 p219
東大を出たあの子は幸せになったのか 樋田敦子 p226

webでも、おすすめの10冊が掲載されています。

「対話」によって人間関係と自分自身を変えるための10冊 | たいせつな本 ―とっておきの10冊― | 斎藤環 | 連載 | 考える人 | 新潮社 各界で活躍する方々に、それぞれのテーマに沿って紹介していただく特別な本。新しい本、古い本、日本の本、外国の本、小説も絵本も kangaeruhito.jp

↑このページの中で、神田橋氏の発言の箇所が面白かった。(OD=オープンダイアローグ)


こちらもどうぞ

 

精神科医が見た投資心理学

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 著者のブレット・スティンバーガー氏は現役の精神科医で、トレーダーでもある。彼のクライアントは主に医学生や研修中の病院関係者が対象で、普段はハードなスケジュールをこなしているが、何かの問題が起きて困っている人のための「短期セラピー」が専門である。

 本書の中で最も強く印象に残ったのは以下の2カ所だが、500ページ全体としても得るものが多く、「負けるのは本当はそうしたいのだ」というような、精神分析にありがちな〈解釈〉ではない、状況の捉え方、解決策などが書かれていて、投資+心理の本の中では一番好きかもしれない。

(各章のタイトルは書籍のものではなく、ざっくりした説明として私が勝手につけたものです)

p351
ピンボールビデオゲームで遊ぶとき、設計者がゲームはこうして遊ばせようと意図した方法では決まって損失が出る

p460
1つか2つの検証済みの市場パターンに集中し、単純にこれらに投資すること

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第1章 「問題」ではなく「解決策」に集中すること

 著者は投資を始めたころ、きちんとしたデータ、頼りになるソフトウェアを準備し、本を読みセミナーに足を運び、熱心に勉強した。そしてもちろん失敗した。

トレード記録から自分の失敗を分析した結果、以下のすべてにおいて「一貫性がなかった」と述べている。

・投資規模(ロット)
・準備
・投資の実行(時間軸)
・観点(ティックに集中して大きなトレンドに注意を払っていなかった)
・市場離脱(手仕舞いのルールにシナリオがなかった)

逆に、上手くいったトレード(細かい上下に振り回されず、落ち着いて戦略通りに行動できた)は、建玉が小さいときだった。規律を守れない原因を見つけるには、上手くいったトレードのパターンを探すと良い

p24
これまで自分が上手に投資をした場面を確認し、それを将来の行動モデルにすれば、優れた投資家になれる。

第2章 失敗は敗北ではない

 損切りは失敗のように見えても、損失が膨らむポジションを放置したままチップが全てなくなれば敗北する。目の前の事象を捉え直すことで、逃げていた決断を実行できるようになったケース。

 また、マイナスの感情から切り替えるための方法がいくつか紹介されていた。2つ目の「一定の手順」のところは、条件反射制御法と似ている感じがした。

・飼っている犬の感触を思い出すこと
・野球選手がバッターボックスに入るときの手順のようなもの。儀式。
・瞑想、マインドフルネス
・バイオフィードバック
・音楽(Powaqqatsiのサントラ/フィリップ・グラス

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第3章 感情を情報として利用する

p204
暗黙のうちに知っていることを発見し、それをはっきりしたルールに翻訳することで、自分だけの成功への個人的な雛形を形成できるのである。

 ポジションを取ったあとリラックスできず、身体がこわばり、前屈みになり、手に汗を握っているならば、もしかするとそのポジションは間違っているのかもしれない。自分でも気がついていない「何か」を、  脳が無意識が見つけている可能性があるからだ。

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p75
成功する選手は、試合の記録係にはなれない。自らの利益を計算したり、トラック・レコード(記録)に集中するようになると、もう市場を注視しなくなる。

p85
いったん自分の感情的、認識的、肉体的な状態に気づけば、精神科医の教えに従い「何はともあれ、損失の出そうな行動はしない」ことが最初の目標になる。
退屈、感情の下降、挫折感、昂揚、過度の楽観主義や恐怖の状態では投資しないこと。

 トレード中の感情が問題なのではなく、感情に没頭してしまうことが問題になってくる(マーケットに没頭しなくてはいけない)

不安をコントロールする方法のひとつとして、EMDRに由来するやり方が紹介されていた。

p452
自分の左膝を一回、右膝を二回繰り返し交代で叩くという感情的でない行為で、このパターンの退屈感はストップ値に入るような感情的な状況と組み合わせて、感情的な反応を打ち消し、市場の動きを中立的に処理できる。

第4章 何が欲しいのか

 ダイエットに失敗する原因は、健康になろうと決意した人格と、甘いものを食べようとする人格は「別人」であり、それぞれの願望を理解しなければいけないという話。

p121
あなたの中に、ある者は慎重に、ある者は衝動的に、ある者は利益を出し、ある者は損失を出す複数の投資家がいるとしたら、あなたの最初の仕事は、これら数人の投資家にレッテルを貼ることではなく、オブザーバーの立場をとることである。この騒々しい投資家たちが投資する理由を理解する必要がある!

変な話だが、失敗した投資でも、たとえば市場から利益を得るのではなく、市場に興奮を求めるという見方からは、立派に成功しているともいえるのだ。

 例えば上記の場合であれば、エキサイティングな体験を投資以外の場面で行えば、投資では興奮を求めなくなる。何かをただ「やめさせる」ことは難しいが、別の願望にシフトさせることはできる。

p123
本を書いている間、かえって自分の投資がうまく行っていたことに驚きはしない。(中略)達成感の願望は、本を書くことで十分に満たされているから、投資は忍耐強く待つことができる。

 また、過去の成功体験もトレードの役に立つ。例えばゴルフなどで、失敗したプレイを忘れて「今」に集中したことがある人は、投資でも同じようなモードを解決策として使えるはずだ。

第5章 反復すること

パターンをくり返すことは、 オペラント条件付け(正の強化、負の強化) が行われている状態である。

ストップを守れない、ロットを入れすぎる、利食いが早すぎる、などの悪いパターンも「良いパターン」を繰り返すことで上書きすることができる。

p135
どんなに問題を語り、自問自答しても、そんな方法では、めったに人は変化するものではない。人が変化するのは、古いパターンに挑戦し、新しいパターンを定着させる強い感情的な経験によることが多い。

p229
自分が恐れることを見つけること。そして、その恐れを直接経験できる状況、統制された状況に自分をおくこと。

 古いパターンを踏襲しようとしているその場面で、意識的に「新しいパターン」を実行し、それを何度も繰り返して定着させること。

犬に芸を覚えさせるように何度も反復して、ようやく自分の一部にすることができる。

p242
何をするにしても、動機づけが必要だとしたら、それはまだ本当に自分の一部にはなっていない。変化が永続するには、毎朝の歯磨きや会話しながら車を運転するように、自動化することである。

第6章 大きな変化を使う

・片目を閉じた場合、左脳と右脳を個別に使うことになるので違った視点見ることができる。
・デスクから離れて運動してみる。姿勢を変える
・大きな声を出す。スポーツ選手も気持ちを切り替えるためにこのような手法を使う

p402
どんな理想でも達成しようと思ったら、その理想に向けて、自分の行動を飛躍的に変えることだ。そして、その結果を内面化するには、その状態で時間を充分に過ごすことだ。

 また、極端な変化を取り入れることも、自信をつけるための良い方法らしい。ポジションを取りすぎる場合に取引を1日1回に絞ったり、普段のロットを拡大する場合に、少しずつではなく一気に増やす。

逆に、たとえばアナリストの言葉を鵜呑みにしてポジションを取ることは投資に不可欠な自信を失わせ、自ら「決断できない人間」であることを認めていることになる。

第7章 相場にボコボコにされる

 アルコール依存症の患者が本気で断酒しようと思うのは、当人が本当に「もうたくさんだ」と実感したときで、一般的に〈底つき体験〉と呼ばれる。

投資家も、現在の失敗から新しいパターンを「ほんとうに」獲得したいと思って努力するためには、一度は退場寸前まで追い込まれる必要がありそうだ。

p407
投資家が古い手法をすっかり拒絶して、新たな境地に飛躍するのは何によるのか? おもしろいことに、答えは怒りである。

おわりに

p424
変化を加速させる鍵は努力である。
心地よい状態で変化が達成されてことはかつて一度もない。

努力について、こちらの動画で印象的な部分があった。
「くたくたに疲れているときに、さらにパズルを解くような訓練をする。身体と同じように脳も鍛えることができる」

「狂いの構造」ほか

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シリーズ3作目

1+2作目は絶版ですが、こちらはkindleでも出ています。
kindleサンプルからはカルトと陰謀論の話を読むことができます

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新興宗教の建物は趣味が悪い
・名刺にパイプマーク

・編集者から執筆者への感想は拙くて良い。
作家に感想を伝えるときは民芸品みたいな手作り感がないとダメ

・ゲームは暴力より、支配欲求を満たすものが危ない。
「支配欲求はとても犯罪の温床になりやすい」

・若い人は未熟で、弱いのは当たり前。得意なことが1つあれば、ある程度叩かれても平気だけど、その前に叩くと社会に参加すること自体ができなくなってしまう。


・違和感は大事。正論やデータで説得してくる人もいるが、自分が最初に抱いた違和感のほうが合ってることが多い

・スランプに効いたのは「掃除」
こちらのエピソードは1作目にも出てきます。

p127
どうしようもなくなったときに、春日先生のとこ行ってね。で、先生が「部屋を掃除しろ」って。てっきり、なんか、モリモリ元気のわく薬とかをくれるのかと思って喜んで行ったら、くれないの。

京極夏彦氏について。彼は1日の仕事時間を決めていて、一段落しても「飲みに行こう!」モードにならないとか

 

・良いメンタルクリニックの選び方(!)
受診しようと思えていること自体、かなり浮上できているということなので良いことであると。

シリーズ1作目

1〜3のうち、こちらの1作目が一番読み応えがありました。2作目「無力感は狂いの始まり」も読んだのですが、あまり記憶に残っておらず。

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>確か絞首刑のロープの規定が、直径2.5cm以上なんですよ。でないと首が千切れちゃうらしいんです。

>誰かが隠れていて自分の生活が探られているという妄想がよくあるけど、あれはなぜか地下じゃなくて、天井裏なんだよね。

・本書で何度か言及される「デッドゾーン」(ネタバレなので内容は伏せます。映画もめっちゃ面白かった)配信なし、ニコニコにアップされてた。

・DVやひきこもりが解決しにくい理由

p11
患者から相談を受けて、あんたそれはマズイだろうと思ってね、だから「こうしなさい」「こうすれば逃げられますよ」と全部提示してあげてるのに、結局、みんな動かないんだ。

p80
つまりさ、とりあえずバランスが取れてるわけよ。膠着状態で現状はバランスが取れてるわけだからね。本当は低いところで安定してるから、それをもっと次元の高い部分でもう一度、安定させたいわけでしょう。(中略)

低いところに留まってる安定を治療のために崩すのは、結局は不安定になるわけ。それは嫌なんだよね。一応は「困りました」って相談に来るのがアリバイになって、それで現状維持っていうのが、その人たちにとって一番いいわけよ。ある意味で、ファミリーとしての病理が、一人の犠牲者のところに集中すれば、それでほかはみんな立つ瀬ができたりするわけだから。

・大量の文章を送ってくる人について。
これを見たとき「なるほど」と思い、私も長いメールは読まなくなりました(主旨は大体分かるので)

p52
結局、こいつは何を言いたかったのかって、あとで考えてみたら、つまり「黙って俺の言うとおりにしろ」みたいなことだったりして唖然とする。それをさ、気の遠くなるような長文で、10通も20通も送りつけてくるんだよね。

犯罪者の思考

ローラ・ブラック事件の犯人(ストーカー)への取材から。彼はターゲットの女性を撃ったがケガを負わせただけで、フロアにいた無関係の7名に対する殺人罪で収監されている。

p195
俺、言ったの、「そんなんじゃ惚れられるわけないじゃん」って。「やっぱり惚れられたいなら、痩せてもっと自分に自信をつけて、男として魅力を重ねるべきなんじゃないの?」と。「何でそうしないの?」って聞いたら、「いや、そんなの関係ないよ」って。「あいつが惚れるか惚れないかは、全然、関係ないんだ。一番大事なことは、俺が負けないってことなんだ。
(中略)

「あいつは、たぶん、これから死ぬまで毎朝、鏡を見るたびに俺のことを思い出す」って言うわけ。「殺したらそれで終わっちゃう」って。


「戦争では1人殺すよりも、1人負傷させたほうが、傷の手当てで2人使うから3人動かせなくなる」みたいな、理屈は通ってるけど・・・という逸話

犯罪者の合理的な思考については、「狂いの調教」でも以下のような描写があります。

春日 なんで子供に手をだすかっていうと、近くにいるし、タダだから。
平山 動物と一緒じゃん。
春日 だけど一応、やる側の理屈では「合理的」ってことになるんだろうね。

・ほとんどの加害者は、被害者意識がある

p67
例えば、女房を殴る亭主がさ、「俺はこんなに働いているのに、本来なら休息の場所になるはずの家、そこで女房が俺を癒すはずなのに、不器用な女だから俺に対してストレスばかりをぶつけるんだ。だから、俺は本当に可哀想なんだ。俺は自分で改革のアクションを起こさなければ、このままだと潰されるかダメになってしまう!」みたいな物語が自分の中にあって。

・たとえ殺人犯でも、殺した瞬間については覚えていない人が多いという流れから

p178
人を刺して刑務所に入って、それで出所して、不眠症だというので治療に来たヤツなんだけどね。そいつに話を聞いたら、「何か覚えてるとか、覚えてないとか、そんなことにこだわるヤツに人は刺せない」って言われた。どっかの剣豪みたいな物言いでさ。


前後の文脈なしに引っ張り出すと、少し乱暴になってしまったりする箇所が多く、なかなか引用だけで紹介するのが難しいのですが、ぜひ原本を手に取って楽しんでみてください。

こちらもどうぞ

 

表現と物語

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作品を作ることについて語られたものと、「物語とは何か?」のヒントになりそうな文章を集めました。

作家

> 小説なんか書かなくても、人生は聡明に有効に生きられます。それでも書きたい、書かずにはいられない、という人が小説を書きます。そしてまた、小説を書き続けます。

> あらゆる表現活動の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。

> もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。

職業としての小説家村上春樹

> オーダー通りに仕事をこなせる作家は一定数いる。でも、そのような作家はたいてい、じきに書けなくなるそうです。自分を押し殺し、相手に求められるだけの仕事に徹する。それは階段の踊り場をただぐるぐる回っているようなものです。いつまで経っても次の階段に足をかけない。

孤独論田中慎弥

>もし文筆家が「筆で身が立つようになるまで、生活の足しになるようなものを書いていよう」と考えたとしたら、その時が来ても書きたいものはもう書けないでしょう。彼の手に生活のための書き方が染み付いていて、より高いレベルのものが書けなくなってしまうのです。

ジョーゼフ・キャンベル対話集

> デビューアルバムは大事よ。でも2作目がこれまた1作目以上に大事。点が線になるから。で、3作目では面をつくるということで、3枚のアルバムを乗り切れればプロでやれる。

> 歌詞って、テーマをどっかにもたないとダメだから。強烈にあなたが好きだとか、ふられて悲しい、というテーマをもってこないと歌詞にならない。そういうニーズに応えて聴く人にこっちから供給しているわけ。でも、私が自分でもっているテーマは違うところにあるっていう感じなの。

ルージュの伝言松任谷由実

>小説って、基本的には読む必要なんてまったくない物語だし、生きていくうえで何の意味もないわけだから、それなら、逆に小説をどうやって読ませるか、読んでいただくかっていうことになるんですよね。

>で、要は脅迫していくわけですよ。占いとかと一緒で、読み手の中で大事だと思っているものをこちらがカタに取るわけです。恋愛とか、男同士の友情、または陳腐な自己実現とかさ、いろいろなものがあるじゃないですか。それを担保に取ったうえで、「え? そうなんだ。じゃあ、俺らのこれこれは、どうやって守られるの? それとも守れないの?」みたいなことをカタに進めていく話だから。

狂いの構造春日武彦平山夢明

物語

>『物語とふしぎ』を書いているうちに、この本には書かなかったが、子どもの頃に読んだ面白い話を思い出した。(中略)
あるところに幽霊が出て人々を困らせるのだが、その幽霊は出てくると、「今宵の月は中天にあり、ハテナハテナ」と言うのである。

 確かになぜ月は中天に浮いているのか、ふしぎ千万である。これに対して、納得のいく説明ができないものは、ただちに命を失ってしまう。恐ろしいことである。まさか、当時は万有引力の法則がわかっているはずもないし、どう答えるのか。ところで水戸黄門は幽霊の問いかけに少しもあわてず次のように答えた。

「宿るべき水も氷に閉ざされて」

 すると幽霊は大喜び、三拝九拝して消えてしまった。つまり、これは、黄門の言葉を上の句とし、幽霊の言葉を下の句とすると、三十一文字の短歌として、ちゃんと収まっている。そこで幽霊も心が収まって消えていったというわけである。

 子ども心にもこの話は私の心に残ったのか、未だにこんな歌の言葉まで覚えている。私は子どもの頃から妙に理屈ぽくて、「なぜ」を連発し、理づめの質問で大人を困らせていたので、論理によらない解決法というのが印象的だったものと思われる。これはひとつの日本的解決法と言えるのではなかろうか。

物語とたましい河合隼雄

> 何度も述べてきたように、人間は不本意な状況に置かれると、「なぜ?」と問います。そして、不本意な状況があまりに深刻だったり、あまりに長期化したりすると、「なぜ生きてるんだろう?」と問うてしまうようになります。

人はなぜ物語を求めるのか千野帽子

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